森田さん・山﨑さんのダブルセンターが話題の曲
2022.8.3に櫻坂46初のアルバム「As you know?」が発売されました。
この「摩擦係数」はそのアルバムに初めて収録される曲で、森田ひかるさんと山﨑天さんが
ダブルセンターを務めています。
MVも公開され、森田さん率いる「野生」チームと、山﨑さん率いる「理性」チームに分かれてのパフォーマンスというコンセプトが話題になりました。
ここでは
■「摩擦」とは何を表している?
■「殴るよりも殴られろ」の意味とは?
を中心に考えていきます。
ぜひ最後までお読みください。
MVも格好いいです!こちらから見られます。
歌の流れを追いながら全体のテーマを考察
自分の「本心」を押し殺すな!
大人になるってのは 丸くなるってことだろう?
真剣にぶつかってたって 理解されはしない
上手に他人(ひと)との距離を取れと
優等生は皆 勝ち組は今 わかったような口を利く
そんなふうに僕は感情 抑えられない
自分飼い慣らすことしたら僕じゃなくなる
「愚か者め どうしたって ただ損をするだけだって」
何を我慢するんだ?
そう
黙るってのは敗北だ
言いたいことを言ってやれ
「ただじっと睨んでたって」
何も伝わらない
そう
ムカついてるならムカついて
むしろそのまま不機嫌に
「さあ 自分晒すしかない」
殴るよりも殴られろ
この歌のメインテーマはシンプルに「自分の本心を押し殺すな!」と表せるでしょう。
「丸くなって」「熱くならず」「距離をとって」他者と関わっていくなんていう器用な生き方は「僕」はできません。
「愚か者め どうしたって ただ損をするだけだって」というのは、本音を殺して我慢しても損をするし、本音をぶつけても損をする・・・それならムカついている感情もそのまま態度に出して、言いたいことを言ってやる方が良いという論理です。
背中を見せるな!
言葉を飲み込むのは 絶対 体によくないんだ
胸のどこかにつっかえて ムカムカしてくるよ
言いたいことは消えてなくならない
刺さっている棘(とげ) 自己嫌悪だけ
唾を吐き捨て立ち直るか
もう体裁なんかどうだって構わない
誰も見ちゃいないよ 自分のことで手一杯
「誰にとってカッコ悪い?自意識過剰って笑われるぜ」
好きにさせてもらおう
ほら
逃げないってのは始まりだ
面と向かって言いなよ
「背中見せちゃ 撃たれるだろう」
臆病者って…
ほら
怒りは生きてる証だ
縛られる社会のロープ
「さあ 引きちぎって自由になれ」
顔近づけてどうするのか?
2番でも「言いたいことは言うべきだ」という論理が繰り返されます。
我慢すれば「自己嫌悪」のトゲだけが自分の心に残ります。
適切な距離をとって「スマート」にその場を終わらせないのは「カッコ悪い」という考えも浮かびますが、誰も「僕」のことをそんなには気にしていません。
「背中見せちゃ 撃たれるだろう」「引きちぎって自由になれ」などは
「本能」が「理性」にささやいているように「 」がついています。
「顔近づけて」は「面と向かって」と同じで、相手から、そして自分の本心から目をそらさずに構える様子だと考えられます。
何と何の「摩擦」?「殴るよりも殴られろ」とは?
ぶつかり合って わかり合うしかないんだ
悪いけど ほっとけない
もっともっと熱くなっちゃいけないか?
摩擦
そう
黙るってのは敗北だ
言いたいことを言ってやれ
「ただじっと睨んでたって」
何も伝わらない
そう
ムカついてるならムカついて
むしろそのまま不機嫌に
「さあ 自分晒すしかない」
殴るよりも殴られろ
ここまでは、それほど「解釈」と言えるほどのことはなくシンプルに歌詞を追ってきました。
ですが見出しに書いた「摩擦とは何と何の摩擦?」というテーマについては解釈の余地があると思います。
第一義は「他者との摩擦」です。世間一般でも使われますし、この歌の出だしにも「上手に他人との距離を取れ」とあることから、まずはこの意味が読み取れます。
ですが、他者との摩擦は「言いたいことを言っ」た後に生じるもので、この歌ではその前段階での心の葛藤がひたすら書かれています。
そう考えれば、この歌で表現されているのは、「僕」の中の「理性」と「本能」との激しい摩擦=「葛藤」だと言えます。
※MVのテーマである「理性」と「野生」もほぼ同じ解釈でしょう。
それを読み取れるのが「悪いけど ほっとけない」という歌詞です。
「他者との摩擦」だとすると、「ほっとけない」相手は、その他者だということになりそうですが、そんなに相手を思いやっての言動には見えません。
ここでの「ほっとけない」は、このまま「本能」が黙殺されてしまうのを見過ごすことはできないということでしょう。
そして、このように解釈する原因の一つであり、最大の謎が「殴るよりも 殴られろ」という言葉の解釈です。
ネット上でもこの歌詞に疑問を呈する人が数多くいました。
ここでの「殴る」とは、「本能」を「理性」が一方的に抑え込み、ひたすら抑圧した結果、急に「本能」が事故のように暴発し起こる行動を表していると考えます。
そこには「理性」と「本能」の交流・対話はありません。
それに対し、この歌は一見「本能」側の一方的な主張に見えるかもしれません。
ですが、「 」の中を見ても「どうしたって ただ損をするだけだ」「自意識過剰って笑われるぜ」などの部分には「理性」的な論理が感じられます。
【「ただじっと睨んでたって」何も伝わらない】と一文の中に「 」の部分とそうでない部分があるのは、「理性」と「本能」が同じ結論に達しているように見えます。
そう見ると、この歌全体が「理性」と「本能」が積極的に対話をし、摩擦を起こし、一つの結論を生み出していくプロセスを表していると読み取れます。
その上で、「言いたいことを言う」「言葉を飲み込まない」という言葉から分かるように「僕」の方針には「殴る」という行動は最初からありません。
なぜなら「理性」と「本能」が充分に対話をしているからです。
その結果として相手から「殴られる」ということは有り得るかもしれません。
それは相手の「理性」と「本能」次第ですから、自分にはコントロールできません。
ですが、そんなコントロール不能の他者に気を遣いすぎて「本能」を抑え込み続け、いきなり「殴る」という行動をしてしまうリスクを高めるより、「理性」と「本能」をしっかりと擦り合わせ(摩擦を起こし)、万が一「殴られる」かもしれなくても、その結論に従うべきだ、というのがこの歌の本当のテーマなのではないでしょうか。
最後に 「摩擦係数」というタイトルについて
解釈の部分が少し複雑で冗長になってしまいましたが、お読みくださりありがとうございました。
蛇足ですが、なぜ「摩擦係数」というタイトルなのかについて、考えたことを書きます。
とても単純に考えれば「摩擦」だけではタイトルとして響きや据わりが悪いから、と言えそうです。
ですが、それだけではつまらないので、あえて考えてみます。
「摩擦係数」というタイトルが発表された時に、ネットでは(恐らく)理系の人達が「動摩擦係数か静止摩擦係数かだけ教えてくれ!」というコメントをたくさんしていました。
簡潔に説明すると「動摩擦係数は物体が動いている時の滑りにくさ(摩擦の大きさ)で、静止摩擦係数は物体が止まっている時の滑りにくさ(摩擦の大きさ)」です。
そして同じ物体でも「動摩擦係数」の方が「静止摩擦係数」よりも小さくなります。
止まっている物体よりも、少し動き始めている物体の方が引っ張りやすいというのは日常でも体験したことがあると思います。
これらを踏まえると
②本心を押し殺して静止しているより、一度言いたいことを言って、動き出してしまえば他者との摩擦も小さくなるというメッセージも読み取れる。
などの深読みが出来るのではないでしょうか?皆さんはどう考えますか?
長くなりましたが、ここまでお読みくださりありがとうございました!
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