大切な時間は永遠ではないと気づかせてくれる曲
2022.8.3に櫻坂46初のアルバム「As you know?」が発売されました。
この「ずっと 春だったらなあ」はその中の通常版に収録されているユニット曲で、
井上梨名さん、大園玲さん、田村保乃さんの3人が歌っています。
高校を卒業して、遠くの大学へと行ってしまう「君」を見送る「僕」の、引き止めたい気持ちと、応援しなければという気持ちのジレンマを描いています。
歌詞の大部分が「ユラ・ユラ」と「ヒラ・ヒラ」とうい擬態語で占められるという珍しい曲ですが、その2種類の言葉に込められている心情や情景が分かると、とても味わいが深い曲になります。
ここでは
■「ユラ・ユラ」と「ヒラ・ヒラ」に込められているものとは?
■「僕のジレンマ」との関連性は?
■グループにとってのこの曲の意味とは?
を中心に考えていきます。
ぜひ最後までお読みください。
歌の流れを追いながら全体のストーリーを考察
プロローグ 「僕」と「君」の想い
強がってる感情も頑張ってる君も
わかったよ しょうがないね もう僕たちは違う道
ずっと ずっと 春だったらなあ
「ごめんね」
ユラ・ユラ・ユラリユラリ
ユラ・ユラ・ユラリユラリ
ユラ・ユラ
最初に書いたように、この話は彼女である「君」が、高校を卒業して遠くの大学へと行ってしまう別れを描いたストーリーです。
ですが、時系列は少し複雑で、最初の「ユラ・ユラ」までは、回想シーンに入る前の導入部分のような役割をしています。。
「強がってる感情」とは「君」が「一人でもやっていける」のように言ったのでしょう。
これが「強がり」なのだとすれば、その本音は「一緒にいたい」「引き止めてほしい」だと言えそうです。
ですが、一方で、あえてそれを見せないようにしているのだと考えると「僕」は応援するべきか、引き止めるべきか迷ってしまいます。(夢に向かって「頑張ってる君」の努力も知っているのでしょう。)
結局「僕」は「君」を引き止めることができないまま、二人は別れることになります。
この「ごめんね」は、「僕」と「君」どちらのセリフなのでしょうか?
ここには、「君」の「私の夢のために別れることになって、ごめんね」という意味と、「僕」の「引き止めることができなくて、ごめんね」という意味の両方が重なり合っているのではないでしょうか。
「ユラ・ユラ・ユラリユラリ」という擬態語は、物が揺れ動く様子を表すものです。桜の花びらが右へ、左へと揺れながら落ちていく様子と、「引き止めるべきか」「応援するべきか」の間で揺れ動く「僕」の心情が読み取れます。
そして、物語は回想シーンへと移っていきます。
1番 「君」からの突然の相談
どれくらい遠くなのかは知らない
「どう思う?」ってそう君が僕に言った時から
舞い散った花びら
賛成した方がいい? 反対した方がいい?
君の瞳に手がかりを探しながら
僕は黙ってた
幸せを願えば 悲しみが溢れて
満開の桜まで 風に吹かれてしまう
輝いてる青春が永遠じゃないこと
わかってたつもりなのに わかってなんかなかったんだね
ずっと ずっと このままじゃダメか…
ヒラ・ヒラ・ヒラリヒラリ
ヒラ・ヒラ・ヒラリヒラリ
ヒラ・ヒラ・ヒラリヒラリ
ヒラ・ヒララ
ヒラ・ヒラ・ヒラリヒラリ
ヒラ・ヒラ・ヒラリヒラリ
ヒラ・ヒラ
「ユラ・ユラ」で場面が変わり、回想シーンに入ります。
高校3年生になったばかりの春。お互いに何となく進路の話もし始めるような時期に、「僕」は「君」から突然、「遠くの街の大学に行きたい」という決意を聞かされます。
「どう思う?」と尋ねた「君」が賛成・反対どちらの返答を求めていたのかは分かりません。
ですが、(「君」のためを思って、努めて理性的に判断しようとした結果だったとしても)この場で「ずっと一緒にいたい」という言葉がなかったというのは、「遠くの大学進学に賛成」という一つの答えになってしまったのではないでしょうか?
「君」の「幸せを願」ったことがきっかけで「満開の桜」のはずだった、2人の青春が散り始めていってしまうというのは、なんとも悲しいですね。
「ヒラ・ヒラ・ヒラリヒラリ」も「ユラ・ユラ・ユラリユラリ」と同じで、散り落ちていく桜の花びらを表現していますが、「ユラ・ユラ」が揺れ動きを表した表現なのに対して、「ヒラ・ヒラ」は花びらが下に落ちていく「時間の経過」に主眼が置かれていると言えます。
「ずっと ずっと このままじゃダメか・・・」と明確な想いを伝えられないままに、別れの日まで段々と時間が経っていってしまう二人の様子が、長い「ヒラリヒラリ」の間に様々に想像されます。(日めくりカレンダーが一枚一枚めくられていくイメージです。)
「どう思う?」と聞かれたその日以来、進路の話はお互いに口に出せないままに、時間だけがゆっくりと過ぎていきます。
2番 別れの日
もう僕はここで見送るしかない
何かやさしい言葉とか 声を掛けようとしたけど
ぎこちなく手を振る
大学なんてどこでも いいじゃないかって言って
僕が止めたら 君はどう答えたかな?
もしもの話さ
幸せはいつだって欲張れないものだ
どっちか片方だけ選ばないといけない
一瞬の優しさと一生の後悔を
天秤にそう掛けながら 僕たちは生きているんだ
もっと もっと 春が長けりゃなあ
ヒラ・ヒラ・ヒラリヒラリ
ヒラ・ヒラ・ヒラリヒラリ
ヒラ・ヒラ・ヒラリヒラリ
ヒラ・ヒララ
ユラ・ユラ・ユラリユラリ
ユラ・ユラ・ユラリユラリ
ユラ・ユラ・ユラリユラリ
「僕」は何も言えないままに「ヒラ・ヒラ」と長い時間が経ち、別れの日がやってきます。
「君」を見送る最後の場面でも「僕」は何も言えずに手を振るだけです。
「君」がいなくなり、今更ながら「僕が止めたら」という後悔が浮かんできます。
「僕」にとっては引き止めないことこそ、相手の未来を考えた「優しさ」でしたが、それによって「一生の後悔」をすることになってしまいます。
「もっと もっと 春が長けりゃなあ」には、不可能だと分かっていても永遠の青春を願う想いが感じられます。
最後は「ヒラ・ヒラ・ヒラリヒラリ」と「ユラ・ユラ・ユラリユラリ」がどちらも歌われますが、「僕たちは生きているんだ」とあるように、「僕」のこの先の人生が「ヒラ・ヒラ」の時間経過で表され、その人生の様々な場面で「ユラ・ユラ」と悩み、揺れ動きながら生きていく様子が一つ一つ想像されます。
これまで見てきたように、この歌のテーマは、AかBか人生の中で選ばなければいけない「ジレンマ」と、物事には永遠なものはないという「無常観」の2つです。
そう考えると「ユラ・ユラ」は選択で揺れる「ジレンマ」を、「ヒラ・ヒラ」は時間とともに散っていってしまう「無常観」を見事に表していると言えるでしょう。
最後に 櫻坂46の現在と絡めて
この考察中にも、あえて「ジレンマ」という言葉を使いましたが、この歌を聴いた時に「僕のジレンマ」を想い浮かべた人は多いと思います。
「幸せはいつだって欲張れないものだ どっちか片方だけ選ばないと行けない」という歌詞は、「僕のジレンマ」の「人生で大切なのは選択することだ 全てを手に入れようなんて 虫が良すぎるってこと」という歌詞と同じテーマです。
「僕のジレンマ」は卒業する渡邉理佐さんがセンターの曲であり、「君」を置いて旅立っていく「僕」の目線でした。
それに対し、この「ずっと春だったらなあ」は2期生のユニット曲で、旅立つ「君」を見送る「僕」目線の曲です。
「僕のジレンマ」の渡邉理佐さん以降、更に原田葵さん、尾関梨香さんも卒業を発表し、残る1期生は6人となってしまいます。
(考えたくはありませんが)1期生と2期生がアルバムを出せるのは、もしかするとこれが最初で最後かもしれません。
今回のジャケット写真が、1期生・2期生での楽しい時間を残す卒業アルバムのような雰囲気であることや、他の収録曲である「条件反射で泣けてくる」や「タイムマシーンでYeah!」が同窓会のような雰囲気の歌詞であることなどを考えると、どうしてもそのように感じてしまいます。
「満開の桜」という歌詞で思い出すのは、「二人セゾン」の「花のない桜を見上げて 満開の日を想ったことがあったか?」という歌詞や、「櫻坂の詩」の「満開の桜の木を一度だって忘れたことはない 春が過ぎて花が散っても 夢は繰り返しここに咲くはず」という歌詞です。
季節は巡って、毎年満開の桜が咲くことが分かっていても、散りゆく桜を見るのは寂しいものです。
「僕のジレンマ」のテーマである「ジレンマ」に加えて、「ずっと ずっと このままじゃダメか・・・」というもう一つのテーマが加わっている背景には、このような現在のグループの状況もあるのではないでしょうか。
3期生の募集も始まり、新しい櫻坂46が楽しみでありながらも、今のメンバーにも変わらず頑張って欲しい・・・そんなファンの想いも歌ってくれている作品だと言えます。
長くなりましたが、ここまでお読みくださりありがとうございました!
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