櫻坂46 歌詞 解釈

櫻坂46「I want tomorrow to come」の深い歌詞の意味を考察!〜僕が本当に恐れているものとは?~

悪いことばかりが頭をよぎってしまう人に力をくれる歌

2024.10.23に櫻坂46の10thシングル『I want tomorrow to come』がリリースされました。この「I want tomorrow to come」はその表題曲で、センターは山下瞳月さんです。山下瞳月さんは前作「自業自得」に続いて、2作連続で表題曲のセンターを務めています。

この「 I want tomorrow to come」という歌は様々な悪い想像をしてしまい、生きづらくなってしまっている人の背中を押してくれる歌だと言えます。
一つ一つの言葉の意味を追っていきましょう。

ここでは

■どんな状況の曲?
■この曲のメッセージとは?
■はは「僕」が本当に恐れているものとは?

を中心に考えていきます。

ぜひ最後までお読みください。

MVはここから見られます↓

歌の流れを追いながら全体のストーリーを考察

1番 明日が来るのかとおびえる「僕」

【1番】
僕は暗闇が怖くて 部屋の灯りを点けたまま寝る
大人になった今でも 実は見えないものに怯えてる
煌々と ただ照らすLEDを見上げホッとして
やっと眠りにつける

そんな臆病すぎる僕のことをみんなが嘲る
だけどもしもこのまま二度と目覚めなかったら?
ああ誰にも発見されず bye-bye
んなこと考えたってしょうがない
「まだまだ 若いし」とかなんて何の慰めにもなりゃしない
人間いつか死ぬってわかってはいるけど

でも明日が来て欲しいんだ ねえ明日は来てくれるの?
そう やりたいことがあるし やり残したこともあるよ
きっと 生きるってことは 暗闇をビビらないこと
そばに誰かがいる 孤独じゃないと教えてくれ

Yes, I want tomorrow to come
I believe tomorrow will come

そうしたら瞼だって閉じられる
ここに魔物などいないってことさ
夜を乗り越えて 期待通りの陽が昇る

最初に「僕」が暗闇の中では眠れない様子が描かれています。

周りの人は、小さい子がオバケにおびえているのと同じようにとらえて嘲るのでしょうが、「僕」がおびえている「見えないもの」とは「突然の死によって明日が来ないこと」であり、現実味があります。

大抵の人は「まだまだ若いし」というように心配し過ぎだと思うでしょう。

ですが、心臓突然死だけでも、日本で年間約7.9万人、毎日7分1人は亡くなっていることを考えると、心配し過ぎとも言えないのではないでしょうか?

小さい子がただ怖がるのとは違い、日本の「諸行無常」や西洋の「メメント・モリ(死を忘れるな)」に通じる人生観を感じます

一方で「僕」にはこれからやりたいことがたくさんあるので、その恐怖を克服しようとしています。英語の「Yes, I want tomorrow to come I believe tomorrow will come」の部分は直訳すれば「そう、明日が来てほしいんだ。明日は来ると信じてる。」となりますが、自分自身に強く言い聞かせているようです。

「僕」はこの後、この恐怖を克服できるのでしょうか。

2番 「恐怖」」の正体に気づく「僕」

【2番】
耳栓とアイマスクつけたら おぞましい別世界
世の中のことはどうしても知りたくはなくなる
夢を見ちゃえば いつか覚めてしまうものでしょう

もし明日が来ないとしたら ねえ明日が絶望なら
もう 生きてる意味はないし いいことなんかありもせぬ
Always 時間って奴は 自分勝手に過ぎて行くもの
You know どんな涙も いつの間にか乾いてく
Yes, I want tomorrow to come
I believe tomorrow will come
不幸せとは 自分を呪うこと
想像が怪物を生み出してるんだ
目を瞑ったって 何も出て来ないはずさ
眩い今日が来るだろう

2番のテーマは「想像力」だと言えます。

「耳栓とアイマスクつけたら おぞましい別世界」というのも、視覚と聴覚を遮断してしまえば、あとは脳内の想像の世界が展開するだけです。その時に「僕」は「もし~なら」と悪い想像ばかりが膨らんでいってしまいます。

直後の「夢を見ちゃえば いつか覚めてしまうものでしょう」という一文が謎で「夢」は恐ろしい想像の世界なので「僕」にとっては早く覚めてほしいものではないでしょうか。

そう考えると、この「夢」は寝るときの「夢」ではなく、将来の「夢」ではないでしょうか。将来に希望(夢)をもっても、いつかは現実を知り「覚める」(諦める)時が来てしまうのだと「僕」は考えているのでしょう。

そう捉えると、その後の「明日が絶望なら」ともつながります。

「僕」は明日、起きられないかもしれないし、起きられたとしても絶望的な未来かもしれないと、悪い想像しかできない状態です。

ですが、最後には「想像が怪物を生み出してるんだ」と自分で気づいています。
あとはその「想像力」を前向きにしていくだけです。できるのでしょうか?

ラスサビ 僕が本当に恐れていたものとは?

【ラスサビ】
僕の寝顔 誰かが見ててくれたら それがしあわせだ
すぐ横で君が添い寝するような そんな安らぎの中
ちゃんと 間違いなく 朝は来るよ
明日は 明日は 誰かのために
I want tomorrow to come

ラスサビになり、曲調とともに歌詞の方向も急転換します。

今まで「僕」は悪い想像しかできない状態でした。では、そのもっと根本的な原因は何なのでしょうか?

その鍵がラスサビの「僕の寝顔 誰かが見ててくれたら それがしあわせだ」の一文です

今まで「僕」の「しあわせ」の考え方については何も語られていませんでした。一方で1番からの歌詞を読み返すと「誰にも発見されず bye-bye」や「そばに誰かがいる 孤独じゃないと教えてくれ」など、孤独に対する恐れは見え隠れしていました。

1番は「死」への恐れに見えますが、実は「孤独に死ぬこと」への恐れなのではないでしょうか。2番の「明日が絶望なら」というのも、「明日も孤独」ということへの恐れなのかもしれません。

「僕」が本当に恐れていたのは「孤独な今」とそれが今後も続くことという「未来」です。

そう考えると最後の「明日は 明日は 誰かのために I want tomorrow to come」という歌詞の深い意味が感じられます。

1番・2番では「自分のために」明日が来てほしいと願っていた「僕」が、最後には「誰かのために」明日が来ることを願っています。

または、少し深読みをすれば「明日は 明日は 誰かのために(生きてみよう)」という思いが含まれているのかもしれません。

いずれにせよ、視点が自分ではなく「人のため」となっています。

「孤独を解消するのは、人のために何ができるかを考えてみること。」そんなメッセージが読み取れます。

または、ラスサビの穏やかな曲調と歌詞を見ると「僕」はすでに見ていてくれる誰かを見つけて、安らぎを手にしているのかもしれません。

その前提だとすれば、「人は自分の孤独が解消されて、初めて他人のための明日を願える」というメッセージかもしれません。

みなさんはどんなメッセージを読み取りますか?

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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