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合唱 歌詞 解釈

合唱曲「生きている証」の歌詞の意味を深く考察!〜「人間」とは何か?という疑問への一つの答え〜

こんにちは!

合唱コンクールや卒業式で「生きている証」を歌うことになった生徒さんや、それを指導する先生方。

心を込めて歌おうにも、歌詞のイメージがハッキリと浮かんでこない!

そんな風に感じていませんか?

私はこれまで、多くの学生に歌詞の意味を指導してきました。

なんとなく歌っていた最初と比べ、歌や作詞者の背景を知ったり、一つ一つの言葉の深い意味を検討したりした後では、歌う時の気持ちの込め方も全く違うものになります。

ぜひ、「生きている証」の歌詞に込められた深い意味を知って、想いのこもった歌声を響かせましょう!

動画はこちらから

 基本情報と歌詞のポイント

綺麗な伴奏が印象的な「生きている証」。

この曲は、「君とみた海」や「この地球のどこかで」などの作曲で有名な若松 歓(かん)さんが作詞・作曲したものです。

この歌詞では表のストーリーとしては「君」と「僕」が二人で【旅】をして、遙かな道を歩んでいく情景を描いています。そしてそれらは、仲間との【人生】を「生きていく」ということの喩えになっています。

それでは、それぞれの歌詞の情景を考えてみましょう。

【1番】
夜明けの地平線
新しい光が
少し疲れた僕たちを
優しく包んでゆく

嗚呼 この地球で
同じ時空(とき)を歩んでいるよね
たった一度の人生だから
この足で
この腕で
力いっぱい進もう

君の手と僕の手を重ね合い
微笑んだり 傷ついたり 支え合ったり
溢れる涙も 悲しみも
生きている証だから

曲は「夜明けの地平線」と、雄大な景色の中での一日の始まりからスタートします。
何も意識しなで歌うと、この出だしの一文をスルーしてしまいそうですが、「これからまた新たな一日が始まっていく」という情景と気分を想像しながら、歌って欲しいと思います。

「少し疲れた僕たち」というのは、表のストーリーの【旅】として捉えるなら、これまで歩いてきた長い道のりの影響でしょうし、裏の【人生】として捉えるなら、ここまで生きてくる中で頑張ってきた色々なこと(特に、今一緒に歌う「君」との出来事)が思い出されるでしょう。
どちらの「疲れ」もこの新しい一日の始まりの光が癒やして、元気をくれます。

「この地球で 同じ時空を歩んでいるよね」というのは、地球ができて46億年、地球上の人口が約80億人という中で、同じ時代に生まれて、こうして二人で【旅】をする奇跡や、こうして同じ学校などで【人生】を過ごし、一緒に歌を歌っている奇跡を噛みしめている歌詞でしょう。

サビの「微笑んだり 傷ついたり 支え合ったり」にはプラスのこともマイナスのことも書かれています。
そう考えると「溢れる涙も 悲しみも」の「涙」は感動の涙などプラスのイメージでしょう。

この歌のテーマを短く表すなら「人と関わり、良い事にも悪いことにも心が揺さぶられること。それこそが生きている証だ。」となるでしょう。

楽譜には以下の「作曲者のメッセージ」が書かれています。

なぜ、私達は生きていることを実感できるのだろう?
生きる喜びとは何だろう?まったくありえない仮説だが、もしこの世界に自分一人しか存在しなかったら、
その人は生きる喜びはおろか、生きているということすらも理解できないかもしれない。

「アドラー心理学」で有名なアドラーも「人間の内面の悩みは全て人間関係が原因であり、無人島で一人生きて行くのであれば、内面の悩みは存在しない」と言っています。

「人間」という言葉自体、「ヒト」そのものを表す意味とともに「世の中」「社会」という意味があります。
まさに、「人間として生きる」というのは他人と関わる喜びも悲しみも感じながら生きていくということなのでしょう。

【2番】
出会えたときめきも
別れの寂しさも
胸に刻んで歩くんだ(歩こう)
道は明日(あす)へ続いてる

嗚呼 なにもかもが
見えなくなることがあるけれど
人は誰もが孤独だから
誰だって同じさ
ひとりじゃ生きられない

あの空も あの海の輝きも
花や木や そよ風や 土の香りも
君と感じることが素晴らしい
それがきっと
生きることさ

君の手と僕の手を重ね合い
微笑んだり 傷ついたり 支え合ったり
溢れる涙も 悲しみも
生きている証だから

生きている証だから

2番の最初には「別れの寂しさも 胸に刻んで歩くんだ」とあります。
2番は、1番の「君」と別れ、一人で新たに【旅】を歩き始めた所だと考えられます。

そう考える理由はいくつかあります。
まずは、「歩くんだ」のところで女声パートが「歩こう」と別れるところです。
この女声パートによって、「君」が別の道に別れたか、亡くなるなどして、「僕」の心に「歩こう」と声が浮かんでいることを表現しているのでしょう。

二つ目は「嗚呼」の後が、1番に比べ、後ろ向きな歌詞になっていることです。
「なにもかもが 見えなくなることがあるけれど」とは、最初は何があったのか読み取れませんでしたが、「君」と別れ、一人になってしまった悲しみから、何も感じない、何も考えられないという時間があったのではないでしょうか。
大切な人を失った直後というのは、ただただ「無」の時間で、それこそ「生きている証」なんか感じられなくなるという経験が私にもあります。

それに対して「人は誰もが孤独だから・・・ひとりじゃ生きられない」とは少し矛盾しているように感じます。
ここでの「孤独」とは「一人では生きていけない存在」「誰かを求めてしまう存在」という意味に捉えると、後の歌詞とつながります。

三つ目は「あの空」「あの海」がなぜ「あの」であって、「この」でないのか、ということです。最初は空も海も遠くに広がっているからかと思いましたが、感動を感じているなら「この空 この海」の方が自然なはずです。「あの」というのは「この」よりも自分の手から離れているニュアンスが出ています。
それは「君」と一緒にいた時には「この空 この海」と感じられていたものが、一人になってしまった今では「あの空 あの海」となり、ようやく「君と感じることが素晴らしい」と今になって気づいたことを表しているのではないでしょうか。
もしくは「あの空 あの海」とは「君」が一緒にいた過去の空や海であり、時間的な隔たりが「あの」に表れているのかもしれません。

どんなに大自然の中にいたとしても、それを共感しあえる存在がいなければ「素晴らしい」とはならない・・・人と関わることは「傷ついたり」「悲しみ」「別れの寂しさ」など様々にマイナスなこともあるけれど、それも含めて「生きている」というのだ・・・そんなメッセージを感じる歌詞ですね。

授業で扱う場合(主な発問や展開)

これまで見てきたように「生きている証」は「僕」と「君」の【旅】での関わりというストーリーを通して【人生】全般での人との関わりを考えさせる歌詞となっています。

まずは【旅】のストーリーとして1番と2番の違い、「別れ」とはどのような別れか?(別々の進路・ケンカ別れ・死別など)や、「この空」と「あの空」の違いなどに触れられたら良いと思います。

その上で、合唱をするにあたっての「君」とは、一緒に歌う仲間や、歌を届けたい相手になるでしょう。その「君」とのこれまでの歩みや「微笑んだり 傷ついたり 支え合った」経験などをしっかりと思いだし、感じとり、歌に込めることで、心のこもった歌声になっていくと思います。

【発問例】
①1番の時間帯はいつか、どんな情景がひろがっているか。(絵に描いたり話し合わせる。)
②2番に「別れの寂しさ」とあるが、誰とのことを言っているのか。
※「君」と「僕」の他に今までいた3人目という考え方も出てくるかもしれません。
③「あの空 あの海」と「この空 この海」ではどう違ってくるか。
※これはかなり難しいので、②の補足的にこちらから説明でも良いと思います。
④「作曲者のメッセージ」が書いていない楽譜であれば、それを紹介。

最後に

■音楽の授業は時数が少ないので、歌詞の意味までじっくりと扱うのは難しいと思いますが、先生の考えだけでも紹介してみてください。歌声も変わると思います。※このページをそのままコピーして配布していただいても構いません。

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