1番→2番→ラスサビへの変化が面白い1曲
2024.2.21に櫻坂46の8thシングル『何歳の頃に戻りたいのか?』がリリースされました。この「何歳の頃に戻りたいのか?」はその表題曲で、センターは山﨑天さんです。山﨑天さんは4thシングル「五月雨よ」以来、表題曲のセンターを務めるのは2回目です。
この「何歳の頃に戻りたいのか?」という歌詞は、表面上は過去のことばかり歌われていますが、最終的には未来へと進んでいく勇気を与えてくれるものになっています。
また、1番から2番への意識の変化と、それを踏まえてのラスサビの見え方が面白い曲だと言えます。
ここでは
■「あんた」とは誰?
■この曲のメッセージとは?
を中心に考えていきます。
ぜひ最後までお読みください。
MVはここから見られます↓
歌の流れを追いながら全体のストーリーを考察
1番 いい加減な生き方の「あんた」と生真面目な「僕」
All day ずっと ソファーに寝そべって
スマホを見てる非生産的日常
あんたを見てると腹が立つ 一瞬 殺意さえ浮かぶ
悩み一つないなんて 世の中 舐めてるんだろう?
夕暮れのグラウンドで一人
ピッチャーゴロに全力で走ってたあの日
間に合う 間に合わないは 生きる答えじゃなく 僕のイノセンス
自分が 何歳の頃に戻りたいか
記憶の目盛りの合わせ方を忘れた
(Go on back)
最高の日々は終わった?
幸せな日々は消えた?
輝いた瞬間は遠く
(Those days)
過去に 戻れやしないと知っている
夢を見るなら 先の未来がいい
1番は一日中ダラダラと過ごしている「あんた」にイライラしている「僕」の気持ちから始まります。「殺意さえ浮かぶ」とはかなり強い表現です。
一日中ソファーにいる姿を見ているというところから、「僕」と「あんた」は同居人か家族だと考えられます。
女性が「あんた」と使う場合、その対象は幅広いですが、男性の「あんた」は主に目上の人を乱暴に呼ぶ時に使うことが多いでしょう。
それらのことを考えると、この「あんた」は「僕」の兄ではないでしょうか。
「殺意さえ浮かぶ」という強い表現も、昔は憧れていた存在だったからこその、失望と怒りなのかもしれません。
「夕暮れのグランドで一人 ピッチャーゴロに全力で走ってたあの日」という歌詞には「一人なのにピッチャーゴロ?」とネット上で疑問が多く挙がっていました。
これは、大人になった今、グランドに来て一人で、昔の「あの日」を思い出しているのでしょう。そう解釈すれば2番の歌詞にもつながります。
「僕」は(恐らく兄も)野球少年で、昔は「イノセンス(純粋)」にボールを追いかけており、そこに損得勘定や将来への不安などはなかったのでしょう。
それが今の僕にとってはとても懐かしく、輝かしい思い出に感じられます。
サビの歌詞は、もう「最高の日々」「幸せな日々」は返ってこないのか?「過去に戻れやしないと知っている」と自問自答しています。
ここでの「夢を見るなら 先の未来がいい」という歌詞は、ただの願望でそれも叶わぬ願いのように失望感だけが感じられます。
2番 過去よりも未来へと歩き出す
一体 何に挫折したんだろう?
目指した夢がなんだか 思い出せなくなった
腹立つあんたはよく似てる 現状維持でいいんだ
明日に期待しなきゃ 傷つくこともないさ
真っ暗なグラウンドの風は
どこかを走る列車の汽笛を運んで
行き先がどこかなんて 今はどうでもいい 微かなリグレット
本当に あの頃 そんな楽しかったか?
きっと 特別 楽しくはなかっただろう
(Go on back)
思い出の日々は普通だ
目に浮かぶ日々は幻想
美しく見えるだけさ
(Those days)
大人になったその分だけ
青春を美化し続ける
今が過ぎる足音が聴こえなくて
(目の前の景色に 意識を奪われて)
こんな今もいつの日か輝くんだ
(大人への階段)
自分が 何歳の頃に戻りたいか
記憶の目盛りの合わせ方を忘れた
(Go on back)
最高の日々は終わった?
幸せな日々は消えた?
輝いた瞬間は遠く
(Those days)
過去に 戻れやしないと知っている
夢を見るなら 先の未来がいい
2番では「あんた」と「僕」が似ていると明かされます。「僕」も「あんた」のように露骨にダラダラとはしていなくても、未来のために前向きに生きているとは言えない状況にあるようです。
「夢に挫折」という表現からは、甲子園やプロ野球選手などの夢が叶わなくなってしまってから、空虚な日々を過ごしてきたことが読み取れます。
1番では夕暮れだったグラウンドが2番では「真っ暗」になるくらい「僕」は長い時間、昔を思い出してたたずんでいます。しかし、この長時間の自問自答と、どこからともなく聞こえてきた汽笛の音をきっかけに「僕」の思考は変化していきます。
「行き先がどこかなんて 今はどうでもいい」とは「リグレット(後悔)」という言葉と合わさって、ヤケになっているようにも見えます。
しかし、将来の結果なんか関係なくボールを追っていたあの日と同じように、純粋で前向きな心持ちになっているという見方もできます。
それはその後の歌詞の変化にも見られます。
1番のサビでは過去に囚われていたように見えましたが、2番でそれは「普通だ」と捉え直しています。何気ない日々も、時間が経ってみると美化してしまい、輝いていたように思えてしまうものですが、そのことに「僕」は気づき、そこに囚われる状態から抜け出していきます。
1番の「Go on back(戻れ)」「Those days(あの日へ)」に挟まれている部分が、「失った美しい過去」を嘆くような歌詞だったのに対し、2番の同じ部分が、「普通」「幻想」と冷静に思い返しているところにも「僕」の意識がガラッと変わったことが現れています。
では「僕」の意識はどう変わったのか。それは「今の自分が、過去を輝いていたと感じるように、現在の自分も未来から見たら、輝いていた時代の1ページになれるんだ」という前向きな捉え方です。
それはCメロの「今が過ぎる足音が聴こえなくて こんな今もいつの日か輝くんだ」にもはっきりと現れています。
その上でラスサビを見てみると、1番のサビと同じ歌詞なのに、「最高の日々は終わった?」「幸せな日々は消えた?」などの問いに、今では「いや、これからだ!」という前向きな答えが聞こえてきそうです。
同じ歌詞なのに、前提となる心持ちが変わると、意味も変わって見えるのが不思議です。
「Start over!」のページにも書きましたが、「残りの人生の中で今日が一番若い日だ。」というテーマはこの曲でも通じると思います。
「昔は良かったなあ」と振り返って、現在に失望してしまう人の背中を押してくれる歌詞でだと言えるでしょう。
おまけ 欅坂46時代につなげると
全てを欅坂46・櫻坂46の歩みに繋げる必要はないと思いますが、この「8thシングル」というのは、欅坂46時代が「8thシングル」で終わっているだけに、なんだか深い意味を感じてしまうところでもあります。
シンプルにこの歌のメッセージを櫻坂46の歴史に当てはめるなら「欅坂46時代の事ばかり囚われていないで、これからの櫻坂46の時代を輝かしいものにしていこう!」という前向きな意味が読み取れるでしょう。
私は欅坂46も大好きなので、過去を「普通」「美化している」とも思いませんが、それだけに囚われて、今の櫻坂46の素晴らしさに気づけないのも、もったいないと思います。
元キャプテンの菅井友香さんが卒業コンサートの最後に言った「大好きな欅坂46も、大好きな櫻坂46も、それぞれにしかない楽曲・グループ・メンバーの魅力がたくさんあります。どっちが良い悪いとかじゃなくそれぞれを尊重しながら、魅力を受け入れてどっちも愛していただけたら嬉しいなと思っています。」という言葉を改めて書いておきます。
最後に
いかがだったでしょうか?
「あんた」との関係性ははっきりとは書かれていませんが、同じく野球少年だった「兄」と考えると色々なところが鮮明になったように感じられたので、深読みを承知で、そのように仮定してみました。
この歌詞のように、これからの櫻坂46が更に輝く時代を作っていってくれることを願っています。
長くなりましたが、ここまでお読みくださりありがとうございました!
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