合唱 歌詞 解釈

合唱曲「大地讃頌」の歌詞の意味を深く考察!〜「大地」「土」に込められた想いとは?〜

こんにちは!

合唱コンクールや卒業式で「大地讃頌」を歌うことになった生徒さんや、それを指導する先生方。

心を込めて歌おうにも、歌詞のイメージがハッキリと浮かんでこない!

そんな風に感じていませんか?

私はこれまで、多くの中学生に歌詞の意味を指導してきました。

なんとなく歌っていた最初と比べ、歌や作詞者の背景を知ったり、一つ一つの言葉の深い意味を検討したりした後では、歌う時の気持ちの込め方も全く違うものになります。

ぜひ、「大地讃頌」の歌詞に込められた深い意味を知って、想いのこもった歌声を響かせましょう!

 基本情報と歌詞のポイント

中学校の合唱コンクールや卒業式で歌われることの多い「大地讃頌」。

この曲は

1962年昭和37年)に、大木惇夫の作詞、佐藤眞の作曲により書かれた、「混声合唱とオーケストラのためのカンタータ土の歌』」の終曲。 出典:大地讃頌 – Wikipedia

とあるように「混声合唱のためのカンタータ『土の歌』」という7楽章からなる長い曲の第7楽章、つまり最後の部分にあたります。

そのため、「大地讃頌」の歌詞の意味を深く知るためには、「土の歌」全体の構成を知る必要があります。 第1~6楽章の意味を考えることで初めて「大地讃頌」の中の「平和な大地よ」「たたえよ土を」などの意味が分かるようになります。

それでは、

  • 「土の歌」とはどんな歌なのか?
  • 第7楽章「大地讃頌」に込められた想いとは?
  • どのように気持ちを込めて歌えば良いのか?

について、それぞれ見ていきましょう。

カンタータ「土の歌」の内容

 カンタータ「土の歌」は全部で7楽章あり、「大地讃頌」はその7楽章目です。

こちらから聴くことが出来ます。

混声合唱のためのカンタータ「土の歌」

各楽章のタイトルと概要は次の通り

第1楽章「農夫と土」

「耕して 種を撒く土 人みなのいのちの糧を 創り出す土」から始まるように、土があるからこそ人間は食糧を得ることが出来、人間は土によって生かされているという根本が歌われています。

第2楽章「祖国の土」

最後の歌詞に「この土を踏みしめて この土を譲(まも)ろうよ 祖国の土を」とあり、出征に赴く兵士の気持ちを彷彿とさせます。曲調も行進のような弾む調子に変わります。

第3楽章「死の灰」

「死の灰」「ヒロシマ」「長崎」という歌詞が印象的なように、核兵器によって、人も大地もボロボロにされてしまったことを感じさせます。曲調もおどろおどろしい調子です。

第4楽章「もぐらもち」

「火の槍におびえる者は 死の灰をおそれる者は もぐらのまねをするそうな」という歌詞が特徴的で、自分たちが生み出した核兵器のせいで、地上に住めなくなり、地下での暮らしを余儀なくされる人間達をもぐらに喩えて笑い、皮肉っています。

第5楽章「天地の怒り」

第4楽章から一転して激しい曲調に変わります。「地の上に絶えずかぶさる人間悪よ 地の上のなげきは深い 長い年月 火の山の爆発だ 地震だ 火事だ」とあるように、ここで歌われる現象は天災であり、人間が起こしたものではありません。

しかし、題名や第6楽章の歌詞の「天意にそむく動乱」などを踏まえると、これらの天災は人間が起こした戦争に対する「天地の怒り」であり、ひいては人間が起こしたものだと読み取れます。

第6楽章「地上の祈り」

「美しい山河を見て 美しい花を見て 大地のこころを信じよう」とまた一転して穏やかな雰囲気に変わりますが、「ああ 戦争の狂気をば 鎮めたまえ」ともあるように、戦争も終わっていないことがうかがえます。

戦争によってあらゆるものを奪われながらも、なんとか今年も作物を収穫することができた一人の農夫の視点から、平和への想いが歌われているようです。

第7楽章「大地讃頌」

これら第1~6楽章の流れがあって、この「大地讃頌」の歌詞があります。

起承転結で言えば第1楽章が「起」、第2楽章が「承」、第3~5楽章が「転」で、第6と第7楽章が「結」にあたるでしょう。

大地の偉大さ、人間の愚かさ、天地の意志など、スケールの大きな曲のしめくくりとして、この歌詞をとらえるとまた見え方が違ってきませんか?

さらに詳しい歌詞の解釈は次で考えていきます。

「大地讃頌」の作詞の背景にあるもの

「大地讃頌」の歌詞の解釈に行く前に、作詞者である大木惇夫さんについて簡単に触れておきます。Wikipediaを見ると

■1895年明治28年)4月18日 – 1977年昭和52年)7月19日)は日本詩人翻訳者作詞家。本名は軍一(ぐんいち)。1932年までは篤夫(あつお)と名乗っていた。 

■太平洋戦争大東亜戦争)中の戦争詩で有名だが、児童文学作品他、「国境の町」などの歌謡曲、「大地讃頌」をはじめとした合唱曲軍歌(戦時歌謡)、社歌校歌、自治体歌の作詞も多い。

広島県広島市天満町(現在の西区天満町)出身。

キリスト教受洗をしている。 出典:大木惇夫 – Wikipedia

 とあります。原爆が落とされた広島県の出身であり、50歳で太平洋戦争の終戦を迎えるなど、人一倍戦争の悲惨さや原爆の恐ろしさを体験している方だと言えます。そんな経験からくる平和への想いも「土の歌」全体から感じられます。

第7楽章「大地讃頌」に込められた想い

ここでは第7楽章「大地讃頌」の歌詞について細かく考えていきます。

■「母なる大地のふところに 我ら人の子の喜びはある」

第1楽章で歌われているように、人間は大地がなければ食べる物もとれず、住むところもありません。「人の子」というのは「人間の子供」という意味ではなく、人類全てが大地という「母」によって生かされている「子」だという表現でしょう。

■「平和な大地を 静かな大地を」

第3~5段落を踏まえると、この「平和な大地」「静かな大地」というのは当たり前のものではなく、とても有り難いものだという想いが読み取れます。対比的に見るなら「平和な大地」が戦争のない大地、「静かな大地」は天災の被害にあっていない大地と読めるかもしれません。

■「恩寵のゆたかな大地 我ら人の子の 大地をほめよ たたえよ土を」

「恩寵」とは「神や天からの恵み」という意味で、ここでは作物や土地の水や風など様々なものを指すのでしょう。

「ほめよ」「たたえよ」は単純に「優れたものを賞賛する」という意味もありますが、ここでは題名に「讃頌」とつけているところからも「讃歌」「讃美歌」などと同じ、神のように人間を超えた大いなる存在に対する感謝や畏れを歌う意味合いが強いと考えられます。作詞者の大木惇夫さんがキリスト教の洗礼を受けているというところからもそれは言えるでしょう。

■母なる大地を たたえよ ほめよ たたえよ土を

ここまでのこと全てを踏まえると最後の「大地」「土」というのは、ただの物質としての「土」だけではなく、自分という人間を生かしている全ての存在を、そして今「平和に生きている」という当たり前に見えて、当たり前ではない「日常」を表していると考えられます。

最後の「ああ~」では人間として、「今を生きているエネルギー」を爆発させて歌いましょう。

授業で扱う場合(主な発問や展開)

【時間をかけられる場合】

①A4のプリント1枚に「土の歌」全楽章の歌詞をまとめたものを配布し、「土の歌」を全て聴かせた上で、各楽章ごとに「単純には意味の分からない言葉」「何かを象徴している言葉」「他の楽章とリンクする言葉」などを発問しながら確認していく。

②、①と同じように歌詞を配り、「土の歌」を聴かせながら、同時進行で「気づいたこと」をどんどんノートや歌詞のプリントにメモさせる。

→全楽章を聴いたあとに、楽章ごとにメモした内容を発表させる。

→意見が分かれたところ、内容理解に重要なところがあれば、討論させたり、解説をする。

【短時間で扱う場合】

①A4のプリント1枚に「土の歌」全楽章の歌詞をまとめたものを配布し、起承転結の分かれ目に線を引かせて、その理由をそれぞれ発表させて討論させる。

※それぞれの楽章が意味するところがつかめると思います。

②、①を行った上で

■「大地」や「土」は何を象徴しているのか?

■最後の「ああ~」にはどのような想いが込められているか?

を聞いてみると、第7楽章の「大地讃頌」自体の理解も深められると思います。

最後に

■音楽の授業は時数が少ないので、歌詞の意味までじっくりと扱うのは難しいと思いますが、「土の歌」の各楽章の概要だけでも紹介してみてください。歌声も変わると思います。※このページをそのままコピーして配布していただいても構いません。

 「国語」の授業でも扱ってみると、「実際に歌う」という明確な目標がある分、教科書の学習以上に盛り上がりますよ。

最後にyoutube上にある「大地讃頌」の動画の中で私が一番好きなもののリンクを貼らせていただきます。客席も巻き込んで一体となる様子が「人の子ら」全てで歌うこの讃歌の雰囲気に合っているなと感じています。

サウスエコー第1回コンサート 2009年アンコール

他の合唱曲の歌詞分析はこちら↓

合唱コンクールや卒業式で歌われる合唱曲の歌詞の意味を深く考察! 〜曲名順に整理〜主に中学・高校の合唱コンクールや卒業式で歌われる合唱曲の歌詞について文学研究者の視点から考察しています。実際に歌う生徒さんや、指導される先生方の手助けになれば幸いです。...