「それが愛なのね」はどんな曲?
「それが愛なのね」は櫻坂46の2ndシングル『BAN』のTYPE-Aに収録されています。
山﨑天さんがセンターを務めている曲で、退廃的な恋に身を滅ぼしていく主人公の女性が描かれています。
全体を通してはそれほど謎も多くない、この曲ですが、
という点については一考の余地があるので、考えていきたいと思います。
目次
- 「それが愛なのね」はどんな曲?
- 「私」と「男」との間に何があった?
- 2番に「男」の正体のヒントが出てくる
- なぜ「私」は「男」を許してしまうのか
- 「男」の本当の正体はもっともっと怖いかもしれない・・・
- 最後に
「私」と「男」との間に何があった?
※歌詞の中に言葉では「私」と「あなた」ですが、ここでは相手を「男」と表します。
「男」の方は出だしから
と酷評されています。
一体この「男」は何をしでかしたのでしょうか?
その詳しい内容については
程度しか描かれず、ハッキリとしません。
すぐに頭に浮かぶのは「浮気」や「貸した金を返さず使い込む」のどちらかでしょうか。
最初に「いつも」とあるように、「男」は同じトラブルを何度も起こして、その度に「私」に泣きついてきているのでしょう。
何度も学習しない「男」に対して「私」は呆れ、拒絶しますが、それに対して落ち込む「男」に対し、母性本能や同情心が芽生えてしまいます。
私の両手で抱きしめてあげるよ(あげるよ)
放っておけないじゃない 可哀想(可哀想)
懲りてないよね 同じことを何度されても・・・
このまま眠りなさい この胸で(この胸で)
このサビの歌詞からすると、場所は「私」の部屋で、ソファかベッドなどに腰掛けながら、話をしている姿が想像できます。
友達や親が馬鹿だと反対しても(しても)
好きになれば見えなくなる
それが愛なのね
「男」のダメ男ぶりは周囲にも知れ渡っているようで、「さっさと別れたら?」と周りからは言われるし、「私」自身も世間一般的に見て「良くない関係」であることは認識しているようです。
それでもその「良くない関係」に身を投じていってしまう様は「恋は盲目」を通り越して「この人には、私がいないと・・・」という「共依存 – Wikipedia」の状態をも思わせます。
一言「この歌は『共依存』を描いた歌だ」と言って終わりにすることもできますが、それでは面白くないのでもう少し考えてみます。
2番に「男」の正体のヒントが出てくる
1番では「男」のしでかしたことが「浮気」なのか「金」なのか、詳しくは分かりませんでした。
ですが、2番の歌詞を見てみると、微かながらヒントが見つかります。それが次の2カ所です。
見限ってしまえば(Ah ha, Ah ha)
最後の蜘蛛の糸 切れるでしょう?
どさくさに紛れながら 奪えばいい(奪えばいい)
「蜘蛛の糸 – Wikipedia」は芥川龍之介の小説でも有名な仏教の説話で、地獄の罪人がその1本の蜘蛛の糸に掴まり地獄から出ようとするが、結局は切れて地獄に落ちてしまうという糸です。
「私」が見限れば「男」は地獄行き・・・これには「浮気」と「金」とどちらのシチュエーションがしっくりくるでしょうか?
A「もう絶対に浮気なんてしない!あの女にも捨てられて、もう俺にはお前しかいないんだ!」
B「頼む!明日までに金を用意できないと、闇金に連れて行かれて大変な事になるんだ!」
Aは「私」が見捨てても「男」は独り身に戻るだけですし、きっとすぐに新しい相手でも見つけるでしょう。「地獄」という感じはしません。
Bの方は今「私」が助けないと、本当に「男」は地獄を見る可能性があります。
それを踏まえつつ2つ目の
どさくさに紛れながら 奪えばいい(奪えばいい)
を見てみると「奪う」という言葉がひっかかります。
「浮気」よりも「金」を「奪う」の方がしっくりきますね。
もしかすると「男」はこれまでにも金を直接借りるだけでなく、財布などからこっそりと抜き取ったりもしていたかもしれません。そんなことまで想像させる歌詞です。
なぜ「私」は「男」を許してしまうのか
見てしまったら(Ah ha, Ah ha)
全てをもう水に流すでしょう
どんな地獄に(Ah ha, Ah ha)
落ちたとしたって(Ah ha, Ah ha)
一瞬の光 夢を見ちゃう
一緒に地獄に落ちる未来まで予期していながらも「私」は「男」の笑顔に勝てず、全てを受け入れてしまいます。
周囲から見れば到底理解しがたい心理ですが「私」が「男」を許してしまうのは、「男」に他の女の影が見えないからではないでしょうか?
そもそも、この「男」の問題が「繰り返す浮気」であれば、その度に「私」の重要度は脅かされ、自尊心を傷つけられると思います。
※「共依存」の視点からすると、それでもその関係にすがりつかざるを得ないのは「私」自身の自尊心がもとから低い状態であり、「こんな人でも自分のことを見てくれている」と頼らざるを得ないからだと考えられますが、ここでは保留します。
ですが、問題が「男の金遣いの荒さ」であれば、それは「男」自身の問題であり、むしろ私はそれを「助けてあげる」という立場に立つことで、(偽りの)自尊心を得ることができるかもしれません。
これらのことから、「男」は金遣いが荒く、「私」は金づるにされていることを分かっているし、男の甘える仕草なども許しを請うためだと分かっていながらも、その泥沼の関係に入り込んでいくというストーリーが読み取れます。
「男」の本当の正体はもっともっと怖いかもしれない・・・
ここからは邪推も含みますが、
これまで考察してきたように「男」に他の女の影がなく「金」の問題だけなのであれば、「私」の献身によって今後改善していく可能性も(僅かですが)見えますし、二人が満足していれば、それも「愛」の形?としてあるのかもしれません。
ですが、これまで考えなかった「浮気」「金」以外の第三の可能性はないでしょうか?
それはその両方を「男」がしているという可能性です。
というのも、この歌の話者は「私」であり、「私」から見た「男」の姿が描かれています。
「私」目線から解釈するなら、これまで見てきたように他の女の影はなく、「金」に関して問題の多い「男」であり、「私」一人を頼りにしている・・・と考えられます。
しかし、ここで浮かぶのは世の中の結婚詐欺(や結婚前詐欺)などの手口です。
結婚詐欺などは当然「浮気」などの気配は匂わせもしません。その人一筋に思わせて何度も金を奪った上で、ある時に突然いなくなります。
同時進行で複数の女性を騙していたり、本命の女性は他にいることもあり、要するに「浮気」と「金の無心」両方の状態になっているということです。
「私」はこの歌の「男」を「想像できないような悪い男」と言っていますが、一方で「私」自身は自分でも「純情」「今までずっと性善説信じた」とあるように、飽くまでも「いい人」です。
世界にはもっともっと「悪い男」が存在しており、この「男」も本性はこんなものではないのかもしれません・・・。
「私」には自分の直感を信じて、「すぐにでも別れて!」と言いたいところです。
最後に
いかがでしょうか?
歌詞の中に確定できる材料となる部分が少なく、深読み(邪推?)だと感じられるかもしれませんが、ご意見いただければ幸いです。
長文をお読みくださり、ありがとうございます。
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