こんにちは!
合唱コンクールや卒業式で「空は今」を歌うことになった生徒さんや、それを指導する先生方。
そんな風に感じていませんか?
私はこれまで、多くの学生に歌詞の意味を指導してきました。
なんとなく歌っていた最初と比べ、歌や作詞者の背景を知ったり、一つ一つの言葉の深い意味を検討したりした後では、歌う時の気持ちの込め方も全く違うものになります。
ぜひ、「空は今」の歌詞に込められた深い意味を知って、想いのこもった歌声を響かせましょう!
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基本情報と歌詞のポイント
中学校の合唱コンクールで歌われることの多い「空は今」。
この曲は、中学校教員である山崎朋子さんが作詞・作曲したものです。
山﨑朋子さんといえば他にも「大切なもの」などを作詞・作曲しています。
コーラスフェスティバルの曲紹介では「長崎県のために書かれ『希望をもって未来を切り拓いていってほしい』という願いが込められている。優美でとても取り組みやすい曲。」と書かれており、多くの人がこの曲の紹介ではその文章を引用しています。
山崎朋子さんご本人のTwitterにも「空は今。長崎県のために書いた曲です。」との一文がありました。
しかし、どこを調べても「長崎市への原爆投下を想って書いた」と確定できる情報はなかったのですが、そのような文脈で紹介されているものも多く目につきます。
ここでは、最初に歌詞の言葉だけの解釈を考えた上で、最後に「長崎市への原爆投下」を関連させて考えてみたいと思います。
歌詞の流れに沿って情景をチェック
それでは、それぞれの歌詞の情景を考えてみましょう。
空は今 何色ですか
あの日と同じように
空は今 青いですか
はてなく 透きとおるように
風の中で 時は流れ
時代が流れてゆく
その中で 生まれた私たちにできること
新しい時代に 命をつないでいくこと
ここで生きているんだ
ここで生きていくんだ
希望が 明日を照らしている 今
出だしから誰かに問いかける文体で始まっています。
最初の4行は倒置などのレトリックが多く、分かりにくくなっていますが、
「空は今 何色ですか? 空は今 あの日と同じように はてなく 透き通るように 青いですか?」という2文に分かれます。
この最初の出だしは「私」からのメッセージなのか、「私」へのメッセージなのかがハッキリとしません。この先を読む前に、一度皆さんも立ち止まって考えてみてください。
私の考えについては後半で書きます。
分かるのは「私」と相手が「あの日」という共通の青空の日を知っていて、遠く離れていることくらいです。
遠くに住んでいる友達かもしれないし、家族かも知れません。
そんなことを考えていたら、「時は流れ 時代が流れてゆく」という壮大な言葉が急に出てきます。これによって、世代を超えた「昔の人達から私へ」や「私から未来の人達へ」というやりとりも浮かんできます。
もちろん、最初に浮かんだ友達同士や家族同士とも捉えられます。その場合には長い長い時代を命のバトンで繋いできた今の自分の「命」の大切さを改めて意識させる歌詞だと言えます。
その上で「ここで生きているんだ」と自分の「現在」を力強く確認したあと「ここで生きていくんだ」と自分の「未来」を力強く宣言しています。
最後も「希望が 明日を照らしている 今」と明日への勇気を与えてくれるメッセージで終わっており、全体的に今を肯定して未来への力を与えてくれる歌になっています。
明けない夜 やまない雨
そんな日もあるけれど
いつの日か陽は射す 地球は生きているから
新しい明日を 未来と呼べる日はくるよ
ここで生きているんだ
ここで生きていくんだ
太陽(ひかり)が 地球を照らしている
空は今 何色ですか
あの日と同じように
空は今 青いですか
はてなく 透きとおるように
2番の最初は「明けない夜 やまない雨」という暗い状況の比喩から始まります。
一般的には「明けない夜はない やまない雨はない」という形で言われますが、ここでは一度「そんな日もあるけれど」と肯定しています。やはり辛い境遇にいる本人にとっては「このまま夜が明けないのではないか」と想ってしまうものです。
その気持ちを一度受け止めた上で「いつ日か陽は射す」と励ましているところに山﨑さんの優しさを感じます。
辛い状況の中では「新しい明日」も「絶望」のようにしか感じられないかも知れませんが、そこから抜け出して「(明るい)未来」と思える状態もちゃんと来るよと励ましています。
サビの部分は1番と違い「太陽(ひかり)が 地球を照らしている」となっています。1番が時間軸での励ましだったのに対し、2番では空間軸になっています。それがつながって歌われることで「いつの時代の どんな場所にも希望の光は届くよ」というメッセージが感じられます。
私とメッセージの相手は誰?
歌詞について一通り触れたところで、前半で投げかけた出だしのメッセージは「私」から相手へなのか、相手から「私」へなのかについて考えてみます。
結論から言えば、これは「どちらでも読み取れるように書いている」のではないでしょうか。
ガッカリされてしまったかもしれませんが、それこそがこの歌の工夫だと思います。
山﨑朋子さんの「大切なもの」も、様々な人に当てはまるように書かれていましたが、この歌も自分自身を励ますように歌ってもいいし、聴いている誰かを励ますように歌ってもいいようになっていると言えるでしょう。
①様々な昔の人達からのメッセージとして受け取って歌う。
②自分から未来の人達へのメッセージとして歌う。
③辛い自分を励ますように、奮い立たせるように歌う。
④目の前で聞いている相手を励ますように歌う。
⑤遠くにいる友達や家族を想いながら届けるように歌う。
など、どんな歌い方でも違和感なく気持ちをこめることができるようになっています。
そんな歌の作られかたを理解したうえで、「じゃあ、今どんな気持ちを込めて歌おうか」と一人ひとりが、または全員で具体的にイメージをすることで歌い方も変わってくるでしょう。
みなさんはどんな想いを込めて歌いますか?
ナガサキへの原爆投下に関連させて
前述したように、この歌は「長崎県のために」書かれたという記述は見つかりましたが、長崎県の原爆投下に寄せて書いたという根拠は見つかりませんでした。
ですが、「あの日」「空」「時代」「命」「明けない夜」「やまない雨」など、原爆を連想できる語も多いことから、そういった視点でも考えてみたいと思います。
長崎で「あの日」と言った場合、1945年8月9日の原爆投下の日が思い出されます。
原爆投下の条件として「視界が良好であること」ということも重要であり、8月6日の広島は快晴でしたが、実際の8月9日のナガサキは曇り空の切れ目から投下されたそうです。
それでもヒロシマの影響か、原爆投下の日の空は「はてなく透き通る青空」の共通イメージがあるように感じます。
この文脈でとらえると、最初のメッセージは戦争当時の人達から現代の「私たち」へのものであると同時に、現代の「私たち」から未来の人達へのものであるとも捉えられます。
昔→現代→未来への時代的なつながりが、出だしのフレーズがループすることによって表現されているといえるでしょう。
「ここで生きているんだ ここで生きていくんだ」というのも、「このような歴史をもっているナガサキの地で生きている・生きていくんだ」という意味と決意が新たに読み取れます。
これらのように、ナガサキとしての歴史を踏まえて読むこともできますし、「時代」や「地球」など大きな言葉が出てくる理由としても考えられると思いますが、一方で無理にそれらを踏まえなくても、それぞれの想いを込めて歌っていくことができる歌であるとも言えます。
授業で扱う場合(主な発問や展開)
これまで見てきたように「空は今」は具体的なストーリーは確定できない表現がたくさんあります。
それは、様々な人への想いを込めて歌えるようになっているともいえるでしょう。
そのため、以下のような発問について、全員で色々と想像して、共有することで理解を深めながらも、一つのストーリーに絞るのではなく、自分にとっての相手と、メッセージを思い浮かべながら歌うような指導が良いと思います。
①出だしのメッセージは誰から誰へのものか?
②「あの日」とはいつのことか?
③誰へのメッセージとして歌うか?
最後に
■音楽の授業は時数が少ないので、歌詞の意味までじっくりと扱うのは難しいと思いますが、先生の考えだけでも紹介してみてください。歌声も変わると思います。※このページをそのままコピーして配布していただいても構いません。