こんにちは!
合唱コンクールや卒業式で「流浪の民」を歌うことになった生徒さんや、それを指導する先生方。
そんな風に感じていませんか?
私はこれまで、多くの学生に歌詞の意味を指導してきました。
なんとなくのイメージで歌うのと、歌や作詞者の背景を知ったり、一つ一つの言葉の深い意味を検討したりした後に歌うのとでは、気持ちの込め方も全く違うものになります。
ぜひ、「流浪の民」の歌詞に込められた深い意味を知って、想いのこもった歌声を響かせましょう!
基本情報と歌詞のポイント
合唱曲「流浪の民」は中学校の合唱コンクールで歌われることが多い人気の曲です。 ソプラノ・アルト・テノール・バスの四部全てのソロがあり、文語の歌詞とあいまって、とてもかっこいい曲になっています。
今回は、
■どんなストーリーなのか。
■どのように気持ちを込めて歌えば良いのか?
について、それぞれ見ていきましょう。
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目次
「流浪の民」とは何か?
まずは、「流浪の民」という曲自体についてと、「流浪の民」という用語の持つ意味について確認しておきましょう。
「流浪の民」という曲の説明
流浪の民(るろうのたみ、ドイツ語: Zigeunerleben)は、ドイツ・ロマン派の作曲家ロベルト・シューマンによって作曲された1840年の歌曲。『3つの詩』作品29の第3曲。本来はピアノ伴奏(トライアングルとタンブリンをアドリブで加える)の四重唱曲だが、合唱曲として演奏されることも多い。原題は「ロマの生活」もしくは「ロマの人生」の意味。
詩はエマヌエル・ガイベル(ドイツ語版、英語版)によって書かれたもので、ナイル川のほとりから、スペインを経て、ヨーロッパの町々をさすらうロマ(かつてはジプシーと呼ばれることが多かった。ドイツ語ではツィゴイナーとも)の生活の物悲しさを歌ったものである。「ジプシーがもともとエジプト民族である」という俗説がわからないと、歌詞の内容は理解が難しい。
日本語の訳詞は石倉小三郎による。名訳として有名で、原詩を超えるとも評されるが、原詩との乖離が大きいとの批判もある。 流浪の民 – Wikipedia より
「ロマ」は以前は「ジプシー」と呼ばれていました。ディズニー映画の「ノートルダムの鐘」などにも登場しますね。それが、この曲では「流浪の民」と訳されています。
ジプシー – Wikipedia によれば「ジプシー」とは一つの民族の呼び方ではなく、異国からヨーロッパへと移ってきた様々な民族をまとめた言葉だそうです。
その中でも特に、「エジプトから移ってきた」というイメージが主流だったこと、黒髪のエキゾチックな見た目、傭兵や占いでは重宝された、「よそ者」として追放や死刑の命令が出されたりした・・・などの情報は、この歌詞を解釈するのに必要になってくると思います。
歌詞の流れに沿って、ストーリーをチェック!
宴(うたげ)寿(ほが)い賑わしや
松明(たいまつ)明(あか)く照らしつつ
木の葉敷きて倨居(うつい)する
歌は「流浪の民」達による夜の宴会の場面から始まります。
「ぶな」はドングリなどもつける広葉樹の名前。「葉隠れ」は葉の陰、つまり「木の下で」という意味です。
「寿い」とは「お祝いをする」という意味ですが、宴会が楽しく盛り上がっている様子を表していると考えられます。
「倨居」は辞書には意味が載っておらず、ネット上では「膝を立てて地面に座る座り方」という説がありましたが、はっきりとはしません。ですが、木の葉を敷いての後ですから、その上に座り込んでいる様子でしょう。
森の木々に覆われた暗い中に、松明の火が輝き、大勢の人が輪になって座りながら宴会をしている楽しい情景が浮かびます。
眼(まなこ)光り髪清ら
ニイルの水に浸(ひた)されて
煌(きら)ら煌ら輝けり
宴で盛り上がっている人々の素性が語られます。
「流浪の人の群れ」とは先に紹介したような「ロマ(ジプシー)」のことです。
「瞳や髪が美しい」と表現されていますが、瞳の色や、髪の色の違いは彼らが他の土地から来た人々であることを浮き上がらせます。
「ニイル」はナイル川のことです。ロマは「エジプトから来た民」と考えられていたので、「ナイル川で産湯につかり」というイメージで、出生についての表現です。
「煌ら煌ら輝けり」は何が輝いているのか、ハッキリしません。
原詩であるドイツ語の訳が「流浪の民(合唱)」の解説(歌詞・和訳)に載せられていて、とても参考になりますが、そこでは「スペインの南国の光で日焼けしている」となっています。「流浪の民」は南のエジプトからスペインを経由してヨーロッパに入ってきているというイメージなのでしょうか。
瞳・髪・肌の色の違いは彼らが「流浪の民」であることを際立たせます。
日本語の訳だけではそこまで分かりませんが、瞳や髪や肌が輝いている表現と考えます。
燃ゆる赤き炎 焚火
強く猛き男(おのこ)安らう
巡り男休らう
女(おみな)立ちて忙しく
酒を酌(く)みて注(さ)し巡る
焚火を取り囲むように座り込み、食事や歌で盛り上がっているのは主に男性です。
女性は座らずに、お酒を注いで回るなどして忙しく働いています。
これが「流浪の民」の文化(のイメージ)なのでしょう。もしかしたら、当時のヨーロッパの価値観とはかなり異なっているのかもしれません。
そんな姿にも素朴さや情緒が表れてくるのではないでしょうか。
南の邦(くに)恋うるあり
厄難(なやみ)祓う祈言(ねぎごと)を
語り告ぐる嫗(おうな)あり
「其が中」とは「その中」という意味です。「南の邦」は原詩ではここでも「スペイン」となっています。彼らの故郷を恋しく思っている心情でしょう。
「嫗」とは年寄りの女性のことです。恐らくはこの集団の中で一番の長老なのではないでしょうか。「祈言」とは呪い(まじない)や祈りの言葉です。ロマの民は「占い」を生活の糧ともしていたそうですが、ヨーロッパの人にとっては神秘的な、得体のしれない力を持った存在と思われていたのかもしれません。
曲調がゆったりになるのと同じように、歌詞も先ほどまでのにぎやかな宴会の様子の中で、故郷を思う寂しさや、不思議な雰囲気の呪術的な静けさが表現されています。
松明明く照りわたる
管弦の響き賑わしく
連れ立ちて舞い遊ぶ
4パートのソロが印象的なこの部分ですが、歌詞は再び明るさを取り戻します。
綺麗な女性が踊り出し、松明が赤々と輝く中で、楽器の音が賑やかに鳴り響きます。
ここでの楽器は原詩では「ギターやシンバル」だそうです。日本の「管弦」のイメージよりは、かなり賑やかで騒々しいぐらいの雰囲気になりますね。
楽器の音に合わせて、皆が踊り出し、宴の盛り上がりは最高潮に達します。
眠りを誘う夜の風
慣れし故郷を放たれて
夢に楽土求めたり
宴も盛り上がりを過ぎ、すでに歌い疲れてしまったせいでしょうか、夜の風に眠気が襲ってきます。
一人、二人と眠りについていき、宴は自然と終っていくのでしょう。
そんな眠りの中で彼らは「楽土(楽園)」を夢見るのです。
「慣れし故郷を放たれて」とは故郷から追放されて、という意味ですが、この一文こそが「流浪の民」の根幹だと思います。
この歌詞の中では「エジプト」が故郷のイメージとして描かれていますが、実際にはインド北西部から争いや飢餓などを避けて故郷を出てきた人たちが主流だったようです。
くわしくは【ジプシーとは?】悪者?スリ?なぜ?流浪の民の本当の姿とは | World Performing Blog!などのサイトを参照してもらえればと思いますが、故郷を出てからも迫害されることの多かった彼らは、安心して過ごせる「楽土」を求め、「流浪の民」でなくなる日を夢見ているのではないでしょうか(これは私の想像であり、彼らの価値観は分かりませんが)。
夜の姿かき失せぬ
ねぐら離れ鳥鳴けば
何処(いずこ)行くか流浪の民
何処行くか流浪の民
何処行くか流浪の民
流浪の民
東の空が白くなり朝がやってきます。夜の面影はすっかりと消え、鳥の鳴く頃には、流浪の民はまた新たな地を探して出発していきます。
流浪の旅には決まったゴールがあるわけではありません。どこを目指すかという問いへの答えはなく、まだ見ぬ安息の地を求めて旅を続けていくのです。
どんな風に歌う?
ここまで見てきたように、歌詞の大半は宴会の賑やかさに彩られていますが、後半には故郷への想いや、あてのない旅の疲れや、不安といったものが見え隠れします。
宴が賑やかであればあるほど、それとの落差が強調されてくるでしょう。
ですので、楽しい様子は目いっぱい楽しく、寂しい場面は、その奥にある心境を深く想像した上で、それを表現できるとメリハリのある良い歌になるでしょう。
授業での主な発問
①「流浪の民」の苦労はどんなことが考えられますか?
「ロマ(ジプシー)の民」について簡単に時代的背景を説明した後、彼らの苦労などを想像させた上で解説をすると、この歌詞の奥に流れる心情を理解できると思います。
②この歌詞を起承転結に分けるなら「転」はどこですか?
一か所だけ、「故郷への想い」といった寂しさが浮かび上がってくる部分に注目させるための発問です。
最後に
■音楽の授業は時数が少ないので、歌詞の意味までじっくりと扱うのは難しいと思いますが、先生が捉えた情景だけでも伝えてあげると歌声も変わると思います。※このページをそのままコピーして配布していただいても構いません。
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