13thシングルの表題曲
2025.10.16に櫻坂46の13thシングルの表題曲「Unhappy birthday 構文」がYoutubeで公開されました。センターは三期生の村井優さんです。村井優さんは「僕は僕を好きになれない」以来2度目のセンターで、表題曲では初センターになります!
この「Unhappy birthday 構文」はタイトルも気になりますが、歌詞やMVもダークな雰囲気で、作曲がナスカさんということもあり、欅坂46時代の「黒い羊」などに近い世界観を感じます。MVの中の目から光の消えた村井優さんの表情と、それを満面の笑みで取り囲む他の「友達」の表情とのギャップが非常に印象的です。
ここでは
■最後に「僕」はどうなっていく?
を中心に考えていきます。
ぜひ最後までお読みください。
動画はこちら↓から見られます。
歌の流れを追いながら全体のストーリーを考察
1番 生きていることを喜べない「僕」
Just another day, what to do with my life?
誕生日がやって来る度 絶望を感じるよ
充分に生きて来たのに まだまだ先は長いなんて…
僕が望んで生まれたんじゃない 親の事情だろう
何の因果でこんな世に生み落とされたか
自称親友の皆様が自己満のサプライズで
テンプレのケーキのロウソクの火を消せと言う
ハッピーなんかではない 願いもない
無理に作った笑顔はぎこちない
来年の今日も 僕は変わらぬままでいるのか?
庇(かば)い合い 許し合い 傷舐め合ったりしてるうちに
人生は終わっているんだ
Unhappy birthday to me. 歳の数だけ揺れてる
Unhappy birthday to me. 不安な炎に照らされ
Unhappy birthday to me. 僕はどんな顔をしてる?
Unhappy birthday to me.
歌い出しから生きていることに絶望を感じる「僕」の姿が描かれます。
この後の歌詞を見ると恐らく「僕」はまだ学生です。それでも「充分に生きて来た」と言っているのは、それだけ苦難の多い人生だったことを感じさせます。
「反出生主義」という考え方がありますが、「僕が望んで生まれたんじゃない」という歌詞はそれに似たものを感じさせます。
では「僕」は何にそれほど絶望しているのでしょうか。
「僕」は独りぼっちな訳ではなくて「自称」とは言え親友が「皆様」と言えるだけの人数はいることが分かります。ですが「自己満のサプライズ」「無理に作った笑顔」などの歌詞からは、その人たちと一緒のテンションになれない自分に嫌気がさしているように見えます。
この辺りも「黒い羊」との共通点を感じますね。
そんな周りに合わせながら「変わらぬままでいる」自分自身を意識してしまうからこその嫌悪感が「僕」の「絶望」の正体だと思います。
ですが、歌い出しで「まだまだ先は長いなんて…」と言っているのに対し、「庇い合い 許し合い 傷舐め合ったりしてるうちに 人生は終わっているんだ」という歌詞には、「人生の貴重な時間をこんなことで浪費していいのか」という前向きな人生観も感じられます。
「歳の数だけ揺れてる 不安な炎」とは見方を変えれば、この歳までこんな生き方をしてきたしまった自分に対する「絶望」はあれど、「生きること」そのものは否定していないと言えるでしょう。
2番 「絶望」と同時に「僕」の希望も見える
もしも 世界に生まれる命が
毎日 限られているとしたら
大切な今日 その一つが
僕でよかったのかって思う
きっと他の誰かが生まれたら
世の中の役に立ってたんじゃないか?
自分なんかには もったいない命
どう遣(つか)えばいい?
他の誰の誕生日でも 何も感動なんかしないよ
365日 同じことを繰り返してる
こんな残酷な“生き甲斐ゲーム” 生き残れるのか?
この先の人生 考えりゃ 祝えるわけがない
誰かと繋がりが欲しいだけの交換会さ
過剰な包装をしてどんなプレゼントくれる?
生きていてよかったといつか思えるのかな?
世界中の誕生日に 共感できる奴はいるだろう
ハッピーなんかではない 願いもない
無理に作った笑顔はぎこちない
来年の今日も 僕は変わらぬままでいるのか?
庇(かば)い合い 許し合い 傷舐め合ったりしてるうちに
人生は終わっているんだ
1番では「反出生主義」のようだと書きましたが、2番を見るとそうではないことが分かります。「反出生主義」とは人間全てが生まれることに対して否定的な考えですが、この「僕」は自分の命以外は大切で価値のあるものと認めています。
そして自分の命も無駄にしようとするワケではなく「もったいない命 どう遣えばいい?」とより良い生き方を考えています。
「他の誰の誕生日でも なんも感動なんかしないよ」というのは、自分自身の価値に自信が持てず、自分の誕生日に感動できないからでしょう。その一方で「生きていてよかったといつか思えるのかな? 世界中の誕生日に共感できる奴はいるだろう」と歌われているのは、自分の人生をいつか肯定できるようになれば、他人の人生(誕生日)にも共感・感動できるようになるだろうという「僕」の希望が表れています。

ラスサビ 最後の一行に込められた願い
Unhappy birthday to me. バースデイソングを歌うな
Unhappy birthday to me. クラッカーなんか鳴らすな
Unhappy birthday to me. もしも自分の意思で
Unhappy birthday to me. 生まれ変われるんなら
Unhappy birthday to me. 僕は僕に言いたい
Happy birthday to me.
「僕」は現時点では「生き甲斐」も感じられず、友達が祝ってくれるのも「自己満」の「テンプレ」であり、心からのものではないと思っています。
「バースデイソングを歌うな クラッカーなんか鳴らすな」という歌詞にはそんな拒絶感が表れています。それらの想いの根本には「自分自身が好きになれない」という想いがあるのではないでしょうか。
一方で、1番の「来年の今日も 僕は変わらぬままでいるのか?」や2番の「自分なんかには もったいない命 どう遣えばいい?」など、言葉の端々には「より良く生きたい」「自分を好きになれるように生まれ変わりたい(生き方を変えたい)」という願いが表れています。
それが最後の畳みかけるような歌詞「もしも自分の意思で生まれ変われるんなら 僕は僕に言いたい Happy birthday to me」に込められているのではないでしょうか。
歌い出しだけ見ると、世界の全てを否定しているように見えますが、歌詞全体は今の自分自身を否定することで「より良い理想の自分」を強く希求しているのを感じます。
最後に
いかがだったでしょうか?
一見するとこの世のすべてに絶望しているように見える「僕」ですが、強烈な自己否定は、今後のより良い人生への爆発的なエネルギーだとも言えます。
この「僕」は、最終的には生まれ変わったように素晴らしい人生を歩んでいってくれると願っています。
タイトルにもなっていて、何度も繰り返される「Unhappy birthday」が、最後でひっくり返る構成はとても洒落ていますね。
長くなりましたが、ここまでお読みくださりありがとうございました!
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