櫻坂46 歌詞 解釈

櫻坂46「UDAGAWA GENERATION」の深い歌詞の意味を考察!〜欅から櫻への成長の物語~

欅坂46・櫻坂46出発の地、渋谷が舞台

2025.2.19に櫻坂46の11hシングル『UDAGAWA GENERATION』がリリースされました。この「UDAGAWA GENERATION」はその表題曲で、森田ひかるさんがセンターです。

この曲のMVは、大部分がワンカットでの撮影だったり、後半では誰が誰だかわからない奇抜なメイクだったり、守屋麗奈さんの大砲シーンがあったりと、何かと話題が多いものでした。

一方で曲自体についてはテンションが上がる曲調でライブにピッタリという声があるものの、歌詞の意味自体はあまり分からないという声もあるようです。

ここでは

■「私」はどんな人?
■どんなストーリーの曲?
■欅坂46→櫻坂46の変遷に関連させると?
■これまでの様々な曲の要素が散りばめられている?

を中心に考えていきます。

ぜひ最後までお読みください。

MVはここから見られます↓

歌の流れを追いながら全体のストーリーを考察

1番 変わらないものと変わらざるを得ないもの

【1番】
Yeah Yeah Yeah Yeah Yeah
Yeah Yeah Yeah Yeah Yeah
Yeah Yeah Yeah Yeah Yeah

何で?何で?何で?
意味不明 どうしてここにいちゃいけないの?
今宵はFull moon ビルに目隠しされて
手探りで歩く人混みよ

いいじゃん いいじゃん いいじゃん
何をしたって…傷ついたって…
好きに生きたい
ホントの年齢より 大人に見えるように
Make me up! Yeah Yeah Yeah

こんなバカをできるのも
若さのせいにできるまで
イリーガルって その線踏まずに…
ギリギリがいい 刺激的な日々
どっちに転ぶか?
どこまで行くのか?

Unknown Unknown
誰かのマイルストーン
変わらないって最高じゃない?
いついつまでも遊んでいたいよ
だって…ずっと…
他に何があるのか?
未来…
We are UDAGAWA GENERATION

冒頭にノリの良い「Yeah」の連続から始まったかと思いきや、主人公は「ここにいちゃいけない」と追い出されるかのような描写から始まります。

まず押さえておきたいのは「ここ」というのは題名の「UDAGAWA」や後半の歌詞から考えて「渋谷」の「宇田川町」のことでしょう。「宇田川町」の中央には欅坂46で歌われた「渋谷PARCO」があり、欅坂46時代を象徴するかのような場所です。

「私」は「いいじゃん 何をしたって 傷ついたって 好きに生きたい」と言いながら、「こんなバカをできるのも 若さのせいにできるまで」と自分のことを一歩引いて見ており、近いうちに「若さ」という免罪符が失われてしまうことに気づいています

「Unknown 誰かのマイルストーン」とは、「私」の知らない様々な人達のマイルストーン(道しるべ)として、渋谷の町、もっと言えば渋谷PARCOが存在しているということでしょう。渋谷PARCOは2023.6.14に開業50周年を迎えており、長年、変わらない存在としてそこにあります。

一方で、「私」自身はこのままこの渋谷の町で遊び続けることはできず、いつかは変わっていかなければならないという運命を感じています。

そんな「渋谷」の町から切り離されようとしている自分を必死につなぎとめようとしているのが「We are UDAGAWA GENERATION」という「名乗り」なのではないでしょうか。そこには、渋谷PARCOのように、自分も「変わらない」存在として定義づけたいという切ない思いが感じられます。

2番 渋谷から引き離される「私」

Yeah Yeah Yeah Yeah Yeah
Yeah Yeah Yeah Yeah Yeah

Yeah
普通に歳取るその都度Boring
やりたいこととか何にもNothing
ああしろこうしろ言われたくない
流されて行けばどこかに着く

Z世代なんて言葉は
誰かが作ったマーケティング
私は私だ Yeah Yeah Yeah

ここで騒ぐことすら 今じゃできなくなりました
ハロウィンなんかもうどうでもいい
浄化作戦 追い出されてしまう
あの娘(こ)はWelcome 私はNG?

I wanna go! I wanna go!
生まれた街じゃないけど
シャッター閉められ 拒否されちゃったら
ずっとこのまま しゃがんでいたいよ
だから…全然…
夢なんか見たくない
何も…
We are UDAGAWA GENERATION

「Boring」は「うんざり」という意味ですが、歳を取ると、将来の進路の選択を迫られるようになってきます。「流されて行けばどこかに着く」と言葉では言っていますが、「私」は恐らくその結果が良いものにならないだろうと感じているのでしょう。

「Z世代」という他人からのラベリングを拒否しながらも、その後には「We are UDAGAWA GENERATION」と自分でラベリングをするところに、「私」の矛盾や揺れ動く心理などが表れているように感じられます。

「浄化作戦」と聴くと、ハロウィンに対して渋谷区が2023年にはっきりと「NO」という意思表示をしたことが思い浮かびます。

2019年 渋谷道玄坂商店街振興組合

2023年 渋谷区

しかし、「ここで騒ぐことすら 今じゃできなくなりました」というのは、その一点だけなのでしょうか?これまで見てきたように「私」は歳を取るにつれ、自分からだんだんと疎外感を感じているのが見て取れます。「今じゃ」というのは「(大人に近づいた)今じゃ」という思いもある中で、「浄化作戦」も口実にしているように思えます。

「あの娘(こ)はWelcome」と「子」ではなく若者を感じさせる「娘」を使っているのも、自分より若い世代は受け入れられているのに、自分は拒否されているという意識が見て取れます。

その後の「だから…全然… 夢なんか見たくない 何も…」と「…」が多用されているところにも「(そんな風にいられないのは分かっているけど)将来のことなんか考えずにいたい」というもどかしさが表れているのでしょう。

Cメロ~ 二律背反(アンビバレント)の狭間で

ただただ歩いているだけなのにさ
嫌でも目に付く いいこと悪いこと
常識と非常識
食い違う青春
What are we to do?
What do you wanna be? What do you wanna be?

Unknown Unknown
うちらのランドマーク
離れた街で憧れて来た
終電気にしない 住人みたいに
いつか…きっと
何か見つかると思う

I wanna go! I wanna go!
呪文のような独り言
世界で唯一 退屈じゃない街
疲れた朝陽 何度見ただろう
そんな…こんな…
自由とは愚かかい?
You know! I know!
何も期待してない
Forever
We are UDAGAWA GENERATION

Yeah Yeah Yeah Yeah Yeah
Yeah Yeah Yeah Yeah Yeah

Cメロ以降、さまざまな矛盾するものが繰り返し語られます。

「いいこと」と「悪いこと」
「常識」と「非常識」
「What are we to do?(何をするべき?)」と「What do you wanna be?(何になりたい?」

1番で「イリーガル(違法)」の「線」が「見えていた」ように「私」には様々なものが「AかBか」に二分されて見えているのでしょう。それは「賢さ」にも見えますが、同時に「幼さ」でもあると言えるでしょう。詳しくは後述します。

「ランドマーク(目印)」は1番の「マイルストーン」と同じで「変わらないもの」の象徴です。

ここには「渋谷(変わらないもの)」「自分たち(変わっていくもの)」
「住人(何かを見つけて定住している者)」「自分たち(なにかも探してさまよっている者」という二項対立が読み取れます。

「呪文のような独り言」とは、「離れた街で憧れて来た」渋谷の街を「世界で唯一 退屈じゃない街」と自分に言い聞かせるための暗示だと言えます。

憧れを叶え、渋谷で何度も夜を明かし、大人に近づいてから振り返ってみた実感が「そんな…こんな…自由とは愚かかい?」です。

直後に「You Know! I know!」とありますが、自分たちも薄々は気づいていたのではないでしょうか。「何も期待してない」とあるように、若さに任せた自由の先に何かがあると期待していたワケではないでしょう。

これまで大人になりかけていて、理想的ではない現実を分かってきている「私」だからこそ、最後の「Forever We are UDAGAWA GENERATION」という宣言には切なさを感じます。

欅坂46から櫻坂46への変遷に関連させて考えると…

欅坂46時代を知っている人は、最初の1番の歌詞に「危なっかしい計画」を思い出した人も多いのではないでしょうか?また、宇田川町の中心に位置する「渋谷PARCO」も欅坂46時代の「渋谷からPARCOが消えた日」を思わせます。

曲全体に通底する「大人になんかなりたくない」という思いは、欅坂46の「僕」を象徴するものだと言えます。

このように、「変わりたくない思い」や「変わらない街、渋谷」というのが歌われながら、一方では「年齢とともに変わっていく自分」や「浄化作戦など、変わっていっている渋谷」というテーマも歌われています。

ここには欅坂46から櫻坂46への変化を受け入れていく物語が読み取れるのではないでしょうか。

この歌詞の「私」は「いいこと」と「悪いこと」のように、全てを白か黒かで捉えようとしています。これはグレーゾーンを認めないという意味では幼い判断だとも言えます。現実は「絶対に良いもの」「完全に悪いもの」など分けられるものばかりではなく「良いもの寄り」「少し悪い」など様々にあります。
渋谷が「若者の街」と言われていたとしても、「〇歳以上はNG」など線引きがあるわけではありません。
「私」は渋谷を「マイルストーン」「ランドマーク」と「変わらないもの」として位置付けていますが、そんな渋谷もハロウィンに対する姿勢だったりは刻々と変わっています。前述の曲名の通り「渋谷PARCO」も「消えた日」があり、永遠のものではありません。

最後の 「Forever We are UDAGAWA GENERATION」 という宣言を字面通りにとれば、そんな「変化」や「あいまいさ」を受け入れられない幼いままだとも見えますが、曲全体で「私」はそれが幻想であり、受け入れざるを得ないことに気づいていることが読み取れます。

そんな欅坂46時代の「僕」が、大人になっていき、昔も良かったし、今も良いと認めていく物語になっているのではないでしょうか。

最後に櫻坂46初代キャプテンの菅井友香さんが卒業コンサートで語ったコメントを紹介します。
大好きな欅坂46も、大好きな櫻坂46も、それぞれにしかない楽曲・グループ・メンバーの魅力がたくさんあります。どっちが良い悪いとかじゃなくそれぞれを尊重しながら、魅力を受け入れてどっちも愛していただけたら嬉しいなと思っています。

最後に

いかがだったでしょうか?

とびきり明るい出だしや、MVだからこそ、「We are UDAGAWA GENERATION」の力強さと、その奥の切なさが際立ちますね。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

櫻坂46の他の曲の考察はこちら↓

櫻坂46全曲の深い歌詞の意味を考察!「Nobody's fault」から「addiction」まで!〜曲名順とシングル・アルバム順に整理~櫻坂46は曲やダンスも良いけど、歌詞も良い!そんな歌詞が表す深いメッセージやストーリーについて全曲考察!更に深く歌の世界を知って、LIVEや日々のファン生活をもっと楽しみましょう!...